ローマ軍は兵站で勝つ

[日々の繰言] 『食べる』と云う事

 「今週の繰言」で「女性作家の作品は『食べる事』の記述の熱量がやたら高い」というエッセーを書いたが、あとで1985年出版のフランスに関するエッセー集を思い出した(著者は女性だ)。日本食に対する当時の欧州人の典型的反応は「サカナを生で食べるのかよ!野蛮だねぇ」。作者はそこで反骨精神を爆発させた。伝統的フランス料理では魚の皮を捨てるが、彼女は「エンガワはどこだ!そもそもサカナは皮が一番うまいんだ、エンガワよこせ、この間抜け!」とシェフに迫って困らせていた。大したものだ。

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 戦後、捕虜虐待の軍事裁判で「捕虜に根っこを食べさせて虐待した」として有罪になった日本兵がいたらしい。物資が乏しいなか、善意と工夫で「ごぼう」の料理を出したのに。有罪判決が下ったとき、彼はどう思っただろう。アメリカ人が「ごぼうサラダ最高!」と興奮している今のSNSを、彼には決して見せたくない。

 呉で終戦を迎えた父は復員後、進駐軍との連絡係りになった。その米軍兵士から彼らの野戦食をもらうことがあったそうだ。もともと欠食気味だった敗戦日本人である父は腰を抜かした。メインディッシュはビーフシチュー(に、肉が入っている!)、フランスパンにマーガリン、食後に甘いケーキとコーヒー、タバコまでついている。「こんな国と戦争してしまったのか、、、」。勝てるわけがない、と父は胃袋で納得したようだ

 「ローマ軍は兵站で勝つ」と昔から言う。どんな最新兵器、優秀な将軍、高邁な大義名分も、胃袋には勝てない


 「『食べる事』への熱量」を「女性だから」とするワタシの言い方には、確かに語弊があるかも知れない。だが、大義名分に目を奪われがちな男性に比べ、「食べる」という泥臭くも愛おしい、生きる基本をまっすぐに表現できる感性。それこそが戦争から最も遠く、平和に一番近いのではないだろうか。

 敗戦の日、それを思う。

写真は父と米兵、二人の二等兵(1945年10月)
無名の二等兵たちのおかげで、ワタシはいまを生きています

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