投稿

ラベル(日々の繰言)が付いた投稿を表示しています

ローカルスーパーは面白い

[日々の繰言]  破壊不能なレジ袋  現役後半戦の仕事では泊りがけ出張が多かった。同僚と飲みに出かけることもあったが、大半はビジネスホテルで一人で夕食を取った。当然近くのコンビニやスーパーマーケットで、お酒 (必須栄養素である。異論は認めない) と共に総菜やお弁当を買ってくるわけだが、コンビニの食べ物にも飽きが来る。イオン系のスーパーは全国品ぞろえが同じで面白味が無いので各地のローカルスーパーがあればできるだけ利用することにしたのだが、これが面白い。 FRESCO : 京都 でしか見たことがないが、市内には山ほどある。よく使った三条通り商店街の店舗は小ぶりで買い物がし易い。ここで初めて「鱧の湯引き(梅肉添え)」パックを見つけて感動した。納豆の品ぞろいの多さに「関西人は納豆を喰わない」という偏見を見事に打ち砕かれました。店内は静かで、狂ったような音楽もチャイムもアナウンスも無いのが、よろしおす。 スーパーマツモト :これも 京都 。弁当を買い行ったら、「生山椒」が山のように売られていてびっくり。鮮度命なので関東に戻る直前に買おうと思っていたら、一週間程度で無くなってしまった。初品出し後の二週間が勝負とのことで、その品出しタイミングが毎年読めないのは桜の開花と同じだ。 バロー : 伊勢 、 岐阜各地 でお世話になったが、スーパーというよりホームセンターの方を多用した。PB商品も多いイオン的な立ち位置で「お値打ち」店だと思うのだが、 なぜにナゼに何故にビールを冷やして売ってくれないんだぁぁ! ぎゅーとら : 伊勢 でしか見たことがない。総菜が充実しており毎回食べきれないほど買ってしまう。「あおさ」の旨さに開眼したのもこのスーパーの責任である。だけど「ぎゅ~チューブ」って、どうよ。「トラちゃん」グッズのイラストは昔の方が好きだなぁ。 レジ袋が破壊不能なレベルの丈夫さで、 「伊勢の土産は『ぎゅーとら』のレジ袋が最高!」 とはカミさん談。そうか、 神さん仲間か 。

コインランドリー・サバイバル

[日々の繰言]  気が利く愚か者  最後の仕事は出張が多く連泊が基本だったので「洗濯物をどうする」は切実な問題だ。安宿派なので高価なランドリーサービスは使いたくない。自然とコインランドリーのお世話になる。  ビジネスホテルに設置されている洗濯・乾燥機は数が限られていて争奪戦が厳しい。夜のビジネス客は仕事上がりで飲んだくれていることが多く (「どうせみんなワタシと同じだろう」という極めて妥当性の高い推測である) 、コインランドリーを掛けてそのまま寝込んでしまうという素敵なお客様ばかり。このため、ただでさえ少ないランドリーの空きが、夜更けとともに消えていく。そのような経験から早朝が一番空いていると悟り、朝4~5時くらいに使う事が多くなった。  10年くらい前は洗乾別々で100円硬貨投入の機械が多く、また洗剤は30円くらいで別売という「小銭命」の仕様だったのだが、近頃は「洗剤自動投入・キャッシュレス・洗乾全自動」が多くなり嬉しい限り。特に 乾燥状態のチェックをして乾燥時間の調整を行ってくれる「賢い」全自動機が登場したときは感動した。生乾きが無いのは長期滞在者としては助かる。助かるハズ、だったのだが。 「早朝にコインランドリーを使う」という作戦が裏目だった。  その日は少し寝坊し、朝6時に慌ててランドリーへ。ああよかった空いてる、ラッキー。「賢い」全自動機に多めの洗濯物を突っ込み洗濯を開始。「完了まで2時間か、余裕だな」と朝食を食べ、頃合いを見計らいコインランドリーへ。ありゃ?まだ乾燥中。もう少し待って30分後、ゲッ、まだ乾燥している。しょうがない強制終了、、、ボタンが無くて出来ませんわ。 「……まだっすか?」 。まぁ、洗濯量を考えないワタシが悪いんですけどね。 乾燥時間を自動調整するのは止めてよね、仕事に行けないから 。  半年後、その「賢い」全自動機は、普通の全自動機に置き換わっていましたとさ。どっとはらい。

キャッシュレス? ハイカラなことで、よろしおすわぁ

[日々の繰言]  「ほら、ここは京都やから」  現役後半は仕事で京都に毎年2~3週間出張していたのだが、2020年代前半の京都は意外と現金主義のお店が多かった。大型店舗や観光スポットのお店はキャッシュレスでOKなのだが、問題は観光客が行かないような場所にある小さなお店。出張先の会社・ホテル近くの飲食店は何故か個人店が多く、それが大抵は現金オンリーのお店だった。そのため京都では手持ち現金の残高に気を使わなくてはならず、キャッシュレスに慣れた身にはちょっとしたストレスだった。もっとも「ワタシの京都での生活圏が特殊なせい」と思っていたので、かなりレアな体験なのだろうと考えていた。  ある晩、京都のとあるコンビニのそばを通りかかったときの事。そのコンビニから出てきた二人連れのお嬢さん、片方がプンプン怒って「なんで (クレジット) カードが使えへんの!」、もう片方 「ほら、ここは京都やから」 。おや、と思いましたね。言葉遣いからして関西人だが、 いまどきの関西人も「京都はトクベツ(キャッシュレスできない)」というのが常識なのか 。決してワタシの体験が異常だったというわけではなさそうだ。  最近、キャッシュレスをやめて現金オンリーに戻るお店の事例がニュースに上がるようになってきた。数%の手数料を嫌っての現象らしいが、それは以前から分かっていた話で「それ今更言う?」感が強い。「キャッシュレスでお客をつかめる、現金管理が楽になる」という甘言に乗ったはいいが、何事にも向き不向きがあるという当たり前の事実にやっと我に返ったか。何かと陰口を叩かれる京都人だが、事これに関しては 京都人の現実感覚がしっかりしているというべき。いや、やっぱり「客さんなんか、なんぼでもきはりますわ」という永きミヤコ人のおごりかね 。  くだんのお嬢さん、最後に 「『↓でんし↑マねー』の時代にどうすんのぉ」 と言いながら消えていったが、意表を突くイントネーションに 思わず路上でズッコケました 。

一周回って

[日々の繰言]  最先端のアナログ  このブログはGoogleのサービスであるBlogger(Blogspot)を使って書いている。さすがは「Googleらしく」使い勝手が非常に悪いが、完全無料なので文句は言えない。だが問題は、 Googleのくせに「ググって」もインデックスされない 事だ。ここ3か月くらい「何とかならんのか」と対策をいろいろやってみたが全然ダメ。最後は Geminiの力 にすがって足掻いていたのだが、どうやらGeminiはJavaScriptリッチなホームページは読んでくれない様だと気付いた (現時点では何らかの改善が成された様だ) 。  その時に「静的HTMLしかない、 ダサい日本のお役所ホームページの方がAIフレンドリーなんじゃね? 」と皮肉を一発かましてみたら、なぜか「日本の遅れた「アナログ技術」「幼稚で感覚的な表現」「整理できずにごたまぜになって放置されていても平気な心理」「過剰な丁寧さ」が、周回遅れでAIを先導しうる要素になっているのが面白い」というところまで会話 (壁打ちだが) が展開した。その時、大昔に読んだ本の「 日本人は、日本人として誠実に生活するだけで世界に貢献できる 」というフレーズをふと思い出した (AI様のお力を借りて、山折哲雄の「『ひとり』の哲学」であると判明) 。  ワタシが現役だった平成時代では、「日本人は、失われた30年でデジタルに取り残されたダメなアナログ人間」と言われ世界から見下され続けてきた。あいかわらず経済も政治もグダグダだが、令和に入ってからは文化的コンテンツやスポーツで日本人や日本社会の在り方が再評価されているように感じられる。それは「デジタルだから」「アナログだから」という技術論を超えて、土着でどうしようもない社会のシガラみの中、 それでも諦めず 日本人が 誠実に生きてきた 結果なのではないかと思う。  「 我々は最先端のアナログを生きている 」  うん、なかなか格好良いじゃないか。

と、個人的には思います

[日々の繰言]  ま、いいか  もう30年以上前、インターネット以前のパソコン通信フォーラムでの話だが、少しひねった冗談を真に受けた相手が怒り出し、周りから「あれは明らかに冗談だよ、わからないか?」と言われて「冗談なら冗談と最初に断ってから言えよ!」と火に油状態 (炎上?) になった。 いつの時代にも「文字通り」にしか理解の利かない人はいる もので、特に対面で会話していない相手には要注意だった。その時は「『いまから冗談カマします!』と言わないと冗談も言えないのか」とネットの残念さを感じたが、今は別の意味で更に冗談が通じない世界になっているのが、社会の進化なのか退化なのか判断に困る。  ちょっと前にXで 「今は『無言の帰宅』という紋切型表現が通じない」 という話題があった様だ。「(長期行方不明者の)無言の帰宅」をそのままストレートに「(長く家出してたのに)帰ってきても何も言わないのはヒドイよねぇ」と解釈したらしい。この件に関しては30年前とは違い、ワタシは素直に感心した。なかなか新鮮な感覚だ。これは「若者の非常識」というよりも、 活字メディアの凋落が見事に露呈したと見るほうが健全だ と思う。紋切型表現は (たぶん限られた紙面から要求された圧縮表現だったのだろうが) 雑誌や新聞で以前は良く使われていた。今のネットには「文字数制限」は無きに等しく、書きたいだけ書けるから紋切型表現は不要になったのだろう。 今さら使う方がどうかしている 。  さらに言えば、新しい紋切型表現の方に興味がある。下の様なネット紋切型を読むと昭和のジジイとしてはウズウズするのだが、突っ込み方がわからないので大人しくしています。 『よき。このような写真は尊みが深い。でもこのキャプションはいかがなものか、と個人的には思います。もっとデカめのナラティブで丁寧に自分事化すれば神対応なのに、と思う自分がいる。あくまで、私見、です、が。知らんけど(笑)』 ああっ、モラモラする。

うん、人間だわ

イメージ
[日々の繰言]  AIとの会話  以前「Windows11に絶望してLinuxに乗り換えようとしたが...」という 記事 を載せた。家族はMacを使っているのだが、こちらも無駄に高いだけのマシンに成り下がりつつある昨今、何方にも明るい未来がなさそうなので、「やっぱり無料のLinuxでごまかすか」とMintに乗り換え中。だがLinuxは何かをやろうとすると毎回何かトラブルが発生する。ネットで調べても、「サーバー以外で使うやつはバカ」「そんな事も解らんヤツは死ね」と罵倒の嵐でコミュティへの参入ができそうもない。まるで埒が明かないのでAIの力にすがることにして、ChatGPT、Gemini、Copilot、Grokに疑問を投げかけてみた。 感想:「オタクのLinuxコミュニティに聞くよりはるかに良いが、 このお調子者! 」  各AIで反応に細かい違いはあるが、発言の当たりは柔らかいし、会話のアフォードも悪くない。解決のヒントは与えてくれるからとても有用なのだが、実際に提示されたコードを使いだすと、これが罠。細かく間違いがある。それを指摘すると、「 でた!初心者によくある間違いなんですよ(<-お前が出してきたんだろ) 」「 そこは先月変更のあったポイントです(<-いつの情報を使ってるんだよ) 」「 ok!じゃリセットしましょう(<-....時間を返して) 」。でもね、考えてみたら人間だって同じような応答をするわ。まずは当たりの良い会話からスタートして、話を聞いて、提案を出して、結果を見て、修正して、ともかく励ます。何より諦めずに会話を続けるところがニンゲンより凄くね?  問題は、使う側のニンゲンが「この嘘つき野郎がぁ!」と切れてしまったり、「AIがそう言ってました」と妄信して突っ走ったりの方かも知れない 。  クラシックSF映画「2001:宇宙の旅」での人工知能HALのセリフが思い出される。  「 間違うのは、いつも人間です 」 Hal9000の"目" ( 引用元 )

地には平和を

[日々の繰言]  路傍の爺さん  20年くらい前に出張で訪れた上海・深圳(中国沿岸都市)や台北・新竹(台湾北部都市)は、停滞する日本を尻目に破竹の勢いで発展していた。やはり勢いのある国は違う。そう羨ましく思いながら都心から地方へタクシーで向う。日本と同様に工場の場所は都心には無い。 都心から車で少し走ると、いきなり「イナカ」が現れる 。上海のような大都市でも同じような状況だったので、そこが東京と違うところ(もっとも以前にバイトしていた、麻布近くの街もよくよく見てみれば似たようなものだった。少し外れるといきなり下町。そこは上海と大差ない)。更に違うのは、建屋がボロボロで道は埃っぽく、そして 「腹巻をした爺さんが家の前に椅子を出してぼーっとしている」 ことだ。そんな爺さんは今の日本ではまず見ない。そんな「ぼーっと爺さん」を目撃して、「何をしているのかなぁ。そういや、ディープ昭和の子供時代に近所でよく見かけたな」とその時は思ったのだが。  つい先日、散歩して公園で一息ついていた。子供達が「わーい」と言いながら駆けていくのをベンチに座りぼーっと見ていて、ハッとした。あの「ぼーっと爺さん」が何をしていたのか分かった。 彼らは文字通り「なにもせず何も考えず、ぼーっとしていた」 のだ。 そして今やワタシも 。何も考えずに長時間居られるというのは一種の能力である。現役時代のワタシの定時後や休日は酒浸りの日々だった。酔っぱらわねば「何も考えない事が出来なかった」からだと、今ならわかる。歳を重ねて、ついに酔わなくてもひたすらぼーっとできる能力を身に着けたのだった。 見事、老人力獲得!  いつかアナタにもその日が来る。そして同時に思う。日本も「ぼーっと爺さん」の時代から、誰もがぼーっとしてられない時代を経て、また「ぼーっと爺さん」の時代に再突入するのだろう。たぶん、東アジア全体が老人力を獲得する日も遠くはない。  それが平和というものなら、「ぼーっと爺さん」も悪くないな。

ルオーのカレー皿

[日々の繰言]  記憶にぶつかる  先週 「神田が如何に偉大なのか理解した」 というコラムを書いたが、その本郷古本屋街をうろついたのが今年9月中旬。一周年記念「仕事の繰言スペシャル」を先行してアップしているうちに2カ月近く経ってしまった。老境に入ると「 一日が長く一週間は短く、季節は全力で走り去りアラもう年末か 」と感じるようになる。皆様、よいお年を。  AIに相談して作った 本郷古本屋ツアーマップ を持って最寄り駅の本郷三丁目を降りたが、仕事で東大を訪れたのが20年近く前のはなしで、地上に出た瞬間に予想通り迷子になる始末。「さすが、俺」とため息をつきながらスマホでマップ検索していたら、「すみません。東大にはどう行けばよいですかね」とおばさんに道を聞かれた。まぁ、駅前でスマホを睨んでいる爺さんがいたので「これ幸いと」声をかけたのでしょうが、 そんな奴は方向音痴に決まってますわ 。聞く相手を間違えたねおばさん。「ワタシも迷ってます」とお互い苦笑いしながら一緒に道を探していると、そのおばさんの息子さんが本日卒業で赤門で待ち合わせしていると分かった。9月に卒業?と思ったが、赤門前には卒業ガウンを着た人が何人もいて記念撮影していた。後で調べてみて大学院や留学で秋卒業のシステムがある事が分かったが、世のなか知らない事だらけだな。  その赤門から歩き出した本郷古本屋街、いきなり「 喫茶ルオー 」にぶつかった。 「ぶつかった」としか言いようがない 。1985年に関東に出てきた田舎者が街歩きガイドブックを見て「へぇ~、東大前にはルオーっていう老舗喫茶店があるんだ。一度行ってみたいな」と思いつつ、速攻で仕事に忙殺され行く機会を失った。その40年前の記憶にいきなり「ぶつかった」のでしばらく茫然としたが、品のよさそうな白人老夫婦がお店から出てきたので、入れ替わりで吸い込まれるように入った。  40年越しで名物のカレーを食す。お皿の傷がゆっくりと歴史を刻んていた。

ご出身はどちらで?

[日々の繰言]  出身地の呪い  1985年に関東で就職して社会人となったのだが、当時は会話のネタ振りとして出身地をよく尋ねられた。 (昨今はそのような話題が出る事は減っているが、それが時代の流れなのか、ワタシの歳になると尋ねる意味が無くなっているだけなのか、分からない) 。話の接ぎ穂に過ぎないのだから、聞く人も真面目な答えを期待している訳ではない。だが、 出身地だけで「それなら〇〇ですよね!」と言われるのは疲れるし、何度も同じことを言われ続けると流石に皮肉の一つも言いたくなる 。ワタシは日本海側の雪国出身者なのだが、こんな感じだった。   「あちらは日本酒が美味しいですよね」     → お酒を飲むようになったのは社会人になってからなので、わかりません。      未成年に日本酒を飲ませるのですか?さすが都会はちがいますねぇ。   「こちら (関東) のお米は不味いだろ?」    →  味は炊飯器の能力差で決るよ。安い炊飯器だと何でもマズイ!これマメな。   「自然が豊かで素敵な故郷ね」    →  「自然」?意識した事無いなぁ、、、あぁ、蚊とか蛾なら大量にいましたね。      そりゃ良いご趣味で。   「スキーを教えて!」    →  小学校のスキー授業で骨折しない転び方だけは教わったけど、知りたい?   「こんな雪道の運転、お得意でしょう」    →  初めて自動車を買ったのは関東なので、雪道の運転は知らないです。      いや違うな、初雪で半回転した事があったな。んじゃ、運転替わりましょう。  各地方にそれぞれの特色があるのはその通りだが、その地で子供時代を過ごし、長じて後に働いて、 (ご縁があれば) 家庭を持ち子供を育てて、初めて「その土地のニンゲン」になれるのだから、ステレオタイプはそのような人にこそ当てはまる。 若くして故郷を離れて長年経った老人は、無国籍難民と思っていただいた方がお互いの為です 。  ところで、ご出身はどちらで?

Take Me Out to the Ball Game !

[日々の繰言]  野球場  米国で日本人野球選手が活躍している事が理由なのだろうが、ここ数年MLBのニュースで盛り上がっている。その話題を聞く度に思い出す事がある。  シリコンバレーへの出張が多くなった2000年代中頃、現地の営業さんと打ち合わせていると「ballpark」という言葉が盛んに出て来きた。「はぁ、野球場ですか?」という間抜けな質問をしたワタシに、「 こちらからの提案が、お客から見てお話にもならない状態を『ballparkにも入れない』って言うんだわ 」と教えてくれた。いわば「箸にも棒にも掛からない」「おととい来やがれ」状態という事だ (この『ballparkにも入れない』という使い方は、実は日本人英語の用法だと後で知ったのだが、それは別のお話) 。元となった「in the ballpark」という表現、宇宙から帰還する宇宙船が「まぁ、大体その辺りに着陸すんじゃね」という目星をつける意味で、初期のNASAで使われたのが起源らしい。 先端の宇宙開発現場で「野球」が出て来るのが実にアメリカンな話だと思った。でもまぁ、日本でもハイテク開発現場に神棚があったりするのだから、お国柄と言うのは面白いものだ。  かの営業さんから「地元のマイナーリーグや草野球でも、実際見ると日本の野球と違いがあって面白いよ。 ここらにもballparkは沢山ある から行ってみたら。少なくとも、お金を払えば『ballparkには入れる』し」とお勧めされたのだが、なにせ数日の短期出張の繰り返しで余裕がなく、一度も米国野球を生で見る事なく終わってしまったのは、人生の数多い心残りの一つである。  ところで肝心の米国では、今や野球人気はバスケットやアメフトに負けていると聞く。アメリカ人が「ballpark『に』入らない」時代なのだろうが、スポーツにはまるで関心のないワタシが言えるのは、シンプルに一言。  ま、頑張ってね。

夏は(たぶん)来ぬ

[日々の繰言]  なんだか訳のわからない季節の変わり目  先週ドライブで山中を走ったのだが、途中の山道が崖崩れで通行止め、止むを得ず奥多摩経由に切り替えた。その多摩湖には「こりゃ不味い」程度しか水が溜まっていない。関西方面は梅雨明けしたが、関東は未だ梅雨なのに雨量が足りてない様だ。先ほどの崖崩れは直前の台風が原因と思われるのだが、風雨が急激に変わりすぎて、災害を引き起こすだけで水の恵みを与えてくれなかったか。午後には雲の切れ間から、夏が感じられる青空と日差しが覗いた。 蝉の鳴き声まで聞こえてきたので、 一瞬「梅雨明けか?」と思ったが、蝉は一声二声鳴いた切りで沈黙。おいどうした、大丈夫か 。  「シーズン・イン・ザ・サン」というTubeの歌があった。今は亡き友人のAが大好きな曲で、「梅雨明け初日、真夏の太陽が照り付けた瞬間の『キターー!』感にピッタリ」と言ってたのを思い出す。 (余談:さっきwikiで調べたら 作曲者の陰キャな怨念 に笑ってしまった。アンタ、性格が歌詞とは真逆じゃね?) 。以前の四季はアナログ的に雰囲気がジワジワ変化していくものだったが、夏だけが例外。思い出の中の「夏」は「長い梅雨→最後の大雨→翌日に『今から夏です!』と太陽が大笑いして昇ってくる」という手順で訪れるもので、「冷やし中華始めました」という謎宣言と共に一緒に「えい!」とやって来た。今はその切り替わり方がグダグダで潔くない。しかもグダグダなくせに極端だ。 寒っむ~寒寒 寒 暑 寒 寒 暑暑 寒 暑暑暑あっつ~ と寒さと暑さが極端にON/OFFしながらデジタル的に切り替わっていく感じ。このような季節変化は年寄りにはつらいが、可哀そうに先ほどの若い蝉にもつらい様だ。  この状況、エンジニア的な言い方を許していただけるのあれば季節の PWM 的な変化だ。もう四季表現は止めて「今週のPWM季節は、冬20%夏80%です」と言ってもらった方が分かりやすいのですが、えっ、許してくださいませんか。残念。

ワクワク出来なきゃ、ね

[日々の繰言]  「PC時代の終わり」が終わる  ついに今年(2025年)秋、Windows10がサポート終了になる。1999年位から「自宅PCは自作で」と決めていたが、最後の自作PCがWindows11に移行できない事が判明した。今はよほどのゲーマーでもない限りPC自作はしなくなり、田舎では部品が簡単には手に入らない。ついにポリシーを曲げ、諦めてAmazonでテキトーな中華製miniPCを購入したのだが、このWindows11、使い勝手が悪すぎる。PCネイティブ老人のワタシでもそうなのだから、スマホを知ってしまった現代人には我慢できないだろう。  ワタシがPCを意識したのは高校1年の時。「月間アスキー」などの雑誌が次々創刊され、Apple IIやPET2001なんていうPCが米国にあるという記事を読み、ため息をついていた。本格的にPCが普及し始めたのは1990年前後でインターネットは限定的、個人は電話回線でパソコン通信。1200ボーという超低速回線 (現代の10万分の1以下という感動的な遅さよ) で、電子メールをやり取りしていた時代。日々新しい事が起こりワクワクしていた幸福なPC時代だった。それから15年後、2007年にiPhoneが発表され、狂乱のPC時代の終わりが始まった。スマホがインターネットを支配するまでそれから10年も掛かっていないと思う。 Windows95から30年経った今、PC盟主Wintelがガタガタになり、PCの時代がついに終わる 。  時代の終わりにはその盟主が迷走を始めるものだ。スマホが勃興して約20年、色々なスマホのサービスも最近はガタつき始めた様にも見える。早くもスマホ時代も終わりかけているのかもしれない。そろそろ「その次」が出て来るのだろうが、 新しい物にワクワク出来なくなったワタシには、もうついていけないだろう。Windows11の画面にぶつくさ文句を言いながら、朽ちていくのだろうな。

街の余白

イメージ
[日々の繰言]  ノラ猫のいる町は良い町である  15年ほど前にリストラされた時、暇つぶしに自宅周辺で散歩する事が多くなったらやたらとノラ猫が目に入るようになった。それまでは会社勤めの慌ただしさか、近所のノラ猫を認識する余裕無かったのだろう。その後に就いた仕事では泊り掛け出張のある会社が多く、早朝や週末にホテルの周りを散歩する様になった。するとどうだ、散歩途中で必ずノラ猫に会う。ただし日本国内だけ。米国、カナダ、中国、台湾、韓国、シンガポールに数回出張で滞在したが、海外でノラ猫を見かけた記憶が全くない。   ノラ猫を見かける町は何かと「余白」が多い 気がする。前述の海外ではいろいろな意味で「余白」が感じられない。都市が計画的過ぎたり、ビジネス一辺倒だったり、人が多すぎたり、逆に誰もいなかったり、ともかく「余白」ないのだ。まぁワタシの出張での行動範囲が偏っているせいもあるが、それなら国内でのノラ猫遭遇率の高さはナゼだろう?  何より日本人がネコ好きというのが大きかろう。だがそれ以上に、おそらく 日本の町が「いいかげん」に作られている のだろう。「この横道は何処につながってるんだろう」と先に進むと行き止まりだったり、ずいぶん前に廃屋化した家がなぜか保存されていたり、道がぐるっと元に戻っていたり、小学生が歩いて通学していたり。日本の非効率の象徴のような町の構造が、ノラ猫に生きる「余白」を与えているのだろう。そのような「余白」は、きっと住んでる人にも優しい緩衝地帯になるハズ。実際、散歩していても何だか楽しい。だからワタシは「ノラ猫のいる町は良い町」だと思うようになった。  だが何とした事。引退してから自宅周りの散歩を再開したが、ありゃ?あれだけいたノラ猫を見ない。我が町は「良い町」では無くなってしまったのか。かなり悲しい今日この頃である。

伊勢神宮にて悟る

[日々の繰言]  神道は生者の道    ワタシは友人が少ない。しかもその数少ない友人のうち二人を、だいぶ前に亡くしている。  引退前の仕事では伊勢市に毎年長期出張していた。定宿ホテル近くに伊勢神宮の外宮があり、天気の良い日は朝散歩で外宮に参ることが多かった。 (江戸時代は「一生に一度は伊勢参り」と言われていたらしい。 毎年伊勢参りしていたワタシは途方もない善男ですよね、神様 、ねっ。)  引退が決まり最後の伊勢出張となった時に「もう一生、伊勢に来ることはないのだろう」と考え、ふと亡くなった二人の名前を伊勢神宮に残せないかと思い立った。 次の式年遷宮は2033年 。式年遷宮奉賛金を寄付すれば名前が残るのではないか。そこで外宮の社務所に朝一番で行き、寄付金の申し入れをした。受け付けてくれた巫女さんの指示に従い書類に記入していたが、ふと「亡くなった方々なので、住所欄はどうすれば良いですか」と尋ねたら、「亡くなった方の寄付はお受けいたしかねます」と少し困った顔をされた。  なにせ無計画で鳴らすワタシの事、思い立ったら調べもせず行動してしまうのでこのような事が多い。だが巫女さんの困った顔には「非常識をたしなめる」と言うよりは、何か同情のようなものが感じられた。そのおかげか「そうだ、 神道とは生者の道 だった 」とストンと腹に落ちたので、お詫びをしてその場を辞した。改めて調べると「神道は生きる事、仏教は死後の事」を司ると分かる。常識に属する事だが、その時は恥ずかしながら失念していた。ならば、まだしばらくは生きねばならぬワタシの勤めをしよう。寄付するつもりだった奉賛金を小分けにし、その週末を使って伊勢にある複数の神社にお賽銭として納め祈った。後日、その友人たちと出会い過ごした関東の街の神社にて最後に祈った。   出会えた幸せに感謝して祈る。それが生き残った者として出来る唯一の事だから 。生者の道と知ったから。 With music by Edward Elgar: "Enigma Variations", Op. 36 – Variation IX,  Nimrod

悲しき笑顔

[日々の繰言]  老婆  先日、散歩途中で笑顔の老婆から声を掛けられた。その老婆はいきなり「こんにちわ」とまるで知り合いに挨拶するかのような笑みで近づいてきた。外観も小ざっぱりしていて怪しい雰囲気もないので、つい「こんにちわ」と返してしまったのが運の尽き、「私、これからk市(隣の市で、けっこう有名な観光地)まで行くの。バスとタクシーどちらがいいかしらねぇ」って、 いきなりそれかい。「こりゃボケ婆さんだわ」 と思ったが、ここでプイと去ってしまうのもナンなので、調子を合わせて逃げるタイミングをうかがった。  「バスは今出たばかりだからタクシーがいいんじゃないですかね、では」  「そうねぇ。k市を散歩しようと思って」  「今日は天気が良いから、気持ち良いでしょうねぇ、では、」  「ついでに美味しい物でも食べようかしら」  「いいですねぇ、では、、」  「今日は家に孫も来ていてねぇ、にぎやかなの」    .....あれっ?お孫さんが来ているのなら家にいればいいのに。  「せっかくみんな楽しんでいるから、わたし、出かけようと思って」  その時ワタシが少し「おやっ?」という顔をしたせいだろうか、いきなり話題が変わった。「私ね、小倉にいたの」「小倉ではね、父が喫茶店や食堂をやっていたの。とっても流行っていたのよ」「でも不景気で潰れちゃってねぇ」「いまは息子の家にいるのよ。A社の偉い人なのよ、息子は」。なんだかとても嬉しそうに話すので、ワタシは相槌を打つだけだった。  「私、これからk市まで行くの。バスとタクシーどちらがいいかしらねぇ」  「タクシーがいいですよ」  「そうねぇ、そうするわ」 といって、少し頭を下げて去っていった。「お気をつけて」ワタシにはそれしか言えなかった。 お婆さんは、最初から最後まで笑顔のままだった 。   悲しい笑顔のままだった 。

命の花咲く春の一日

イメージ
[日々の繰言]  花見  早春の三寒四温とは言え、今年の過激な気温乱高下でワタシもカミさんも体調ガタガタで家に引きこもりの2週間となった。日々の買い物もままならずアマゾンとスーパーのオンラインショップのみで乗り切ったが、ずっと家に籠っていると体調も気力もどんどん悪化していく。4月第一週末に気温がようやく戻って春らしくなってきたので、やっと近くの森林公園に散歩に出る事ができた。当地はサクラ開花宣言が出てから急に寒くなっていたので開花進行も遅かったのだろう、散り始めてはいたがまだまだ満開に近く、久しぶりに桜花を見た。  ここ数年は桜が咲いているのを現場へ移動している最中のハイエース車窓から眺める程度で、わざわざ花見に行くこともなかった。過去を振り返れば同僚なり友人なりと出かけて花見と言う名の宴会を楽しんでいたから、一人で花見はたぶん初めての体験だ。暖かい日差しの下、シートを広げてピクニックをする家族連れ、散歩する老夫婦、写真撮影を楽しむ集団と公園はにぎやかで、見たところ一人で散歩しているのはワタシだけの様だ。 花見を楽しめるのは人間関係が濃厚な時期だけだよなぁ 、と思いながら歩いていくと、いままで木が植えられていなかった芝生に新しく小さな桜の木が植えられていた。後で公園の看板を読んで分かったのだが、ソメイヨシノへの虫害が酷くなり植生を変えるため別品種への植え替えを開始したらしい。植えられたばかりの低木で、わずかに花が咲いているだけの若木。そこには誰もおらず、注目もされていない。  その時「 ワタシはあと何回春を迎えられるのだろう 」とふと思った。来年この木はどのくらい成長しているだろう。ワタシが逝くころには、成長したこの木の下で家族連れがピクニックを楽しむようになっているのかな。  とても小さな、でもとても素敵な明日への階を見つけた。

方向音痴の楽しみ方

[日々の繰言]  まさかこの世に坂があるなんて!  京都に長期出張で滞在中の出来事。梅雨の中休みの週末で良い天気。やることもないので地図をぼんやり見ていたが、おや、長岡京が結構近い。「この距離なら自転車で行けるんじゃないの」と思ったのが運の尽きだった。二条城近くの定宿ホテルの前にレンタル自転車ステーションがあり、スマホがあれば簡単に借りられる。早速ポチって走り出す。  ワタシは 途方もない方向音痴 で地図やカーナビですら役に立たない。それだから事前に移動予定を立てても全く意味が無く、「着いたところが目的地」な人生を歩んできた。当然、大雑把な目的地を決めるだけで事前検討なんかしやしない (無駄だから) 。まぁ何とかなるっしょ。幸い今はスマホのマップで現在位置は分かるので最終目的地から離れたら修正することはできるし。とうぜん最短では走れずにヨタヨタ無駄の多い走り方になるが、どうせ暇つぶし、それも気にしない気にしない。晴天の下で鴨川、桂川沿いを愉快にサイクリング。桂川を超すまでは。  目的地は「 山崎ウイスキー館 」だったのだが、長岡京市内に入ってから坂道が増えてきてだんだんとしんどくなる。結局、途中で断念し京都に戻ろうとしたのだが、なんてこった、帰りは京都まで全部上り坂じゃありませんか。傾斜が緩かったから気づかなかったけど、そりゃ来るときは楽なはずだわ。 まさかこの世に上り坂があるとは、誰に想像できたでありましょうか 。  「天気が良い」というのがまた曲者だった。日焼けでヒリヒリ、半分脱水症状でボロボロになりながら、日が落ちる前になんとかホテルに着いた。だが「年寄りの冷や水」とはよく言ったもの。その夜から嘔吐と下痢が止まらず、 翌日病院で「急性腸炎」と診断され緊急入院。医者から「あんた今日来てなかったら死んでたでぇ、ホンマ! (大阪人だったらしい) 」と大声で言われる始末 。 重大な教訓:行ったら帰って来なければなりません 。 (そっちも忘れてたわ)

女は強し

[日々の繰言]  圧の強いお姉さん  神奈川O市駅前に仕事で定宿にしていたホテルがある。そのホテルの朝食はホテル一階に入居している某コーヒーチェーン店のモーニングサービスだった。朝に淡々と注文し淡々と持ち帰る。朝食の時間に勤務していたある一人の店員さんはどうやら朝のシフト勤務で固定らしい。そのお姉さん (という事にしておこう) には、なんと言うか、非常に強い「圧」があった。比較的背が高いというのも理由の一つだが、存在全体から感じられる無言の「圧」。 下手なクレーマーならその「圧」にビビッて土下座しそうな「高圧」だ 。だが言葉や行動が乱暴な訳ではない。物腰はとても柔らかだ。たぶん接客業でクレーマー撃退能力が鍛えられたのだろう。なにせ朝は超忙しいしね。ワタシにはとても真似できません。女は強い。  毎年とはいえ数日宿泊するだけなので、そのお姉さんと世間話など一度もしたことはない。ついに退職が決まり、ここでの最後の朝食、そのお姉さんはいなかった。最後ぐらい挨拶しようかなと思っていたが肩透かし。人生そんなものだ。その日は早めに現場から帰れたので、最後にコーヒー豆を買おうと思い立ち、夕方帰社途中に立ち寄った。朝食以外で入店したのは後にも先にもその一回きりだったが、あら、あのお姉さんがいる。あちらもちょっと驚いた顔をして「いまお帰りですか?」と。なんとまぁ覚えてくれてたのね。「この時間に勤務ですか?」と思わず聞いた。お姉さんは「明日は朝勤務に戻りますよ」とにっこり。 その笑顔には何の「圧」も無かった 。  だが、すでにチェックアウトした私が訪れる「明日の朝食」は無い。7年間ありがとう。お元気で。

60年来の謎が解けた瞬間

[日々の繰言]  なんだ、そうだったのか!  ワタシは「いろいろ音痴」である。自慢ではないが極度の「方向音痴」。どのくらい酷いかと言うと、いま来た一本道を戻れない。いやいや冗談じゃないのですよ。友人に物凄く方向感覚の鋭いヒトがいたのだが、彼の頭の中には2次元マップが完備されているらしく「道に迷った事がない」と豪語していた。その友人と方向感覚について何度も議論したが、話が全くかみ合わない。最初は「人というのは分かり合えないものだ」と思ったが、ここまで違うといっそ面白く、彼とはこの会話を無限に楽しめた。  「音痴」はまだまだあるよ、「運動音痴」これも酷い。走れば遅れる、泳げば沈む、跳び箱は崩れる、投げたソフトボールは頭に落ちる、バレーのレシーブでは眼鏡を壊す。バットを振れば「腰を入れろ、腰を!」と言われるが、腰を入れるってどうすりゃいいのさ? 余りに酷すぎて高校を卒業と同時に一切スポーツ界隈とは縁を切った。次っ、「美術音痴」と言ってよいのか、絵を見るのは好きなのだが、描けない。なにせ線が真っすぐ引けない。定規を使ってでもですよ、凄いでしょ。で、何よりそもそも「音痴」。そんな「全方位音痴」の当事者として考察し続けた結果、 根本の原因は「体の各部分の距離関係が直感的に把握できない事にある」と仮説を立てた 。ただ、ナゼそうなったのかが分からなかった。還暦までは。  還暦を過ぎたある日、いままでにない眩暈に襲われて大事をとって救急車を呼んだ。結局は突発的な高血圧(250mmHg越えはさすがにビックリ)で大事は無かったのだが、念のため頭部MRIを撮影された。その画像を見たお医者さん、「うん良かった、脳に特段の問題は無いね。ただ、 小脳 (運動中枢!) に行ってるはずの2本の大動脈が1本ありませんね。生まれつきでしょうなぁ 」。  あぁ先生ありがとう。 長年の人生の謎が、いま解けましたよ 。

さらば原付

[日々の繰言]  ホンダの「バタバタ」をご存じか?  ホンダの「バタバタ」をご存じだろうか?おそらく実際に街中を走っている「バタバタ」を見た人は稀だろう。   1960年代後半、転校先のド田舎で不思議な自転車を見た。どう見ても自転車だがサドル前にヘンな装置がついていた。ワタシは当時なにせ小学2年生、好奇心が抑えきれずそのヘンな装置を触ってしまった。すると爺さんが「こらこら、触るとあぶねーぞ」と言いながら笑い顔で家から出てきた。さすがに「ごめんなさい」と謝ったが、 「これ、なぁに?」「これはバタバタだ」「バタバタ?」「エンジン掛けっから見てな」。サドルにまたがり数回ペダルを踏みこむと、なるほど「バタバタ」と走り出した 。  ヘンな装置はエンジンで、今でいえばアシストサイクルの様なモノだった。後にスーパーカブへと発展する「原動機付自転車」(そのまんまだね)の始祖であり、その後「バタバタ」にもバイクナンバーを付ける法律が出来たようだ。だが田舎じゃだれも気にしちゃいない。ナンバーもヘルメットも無しで、爺さんノンビリ走っている。これに限らず、今思えば「法律的にどうよ?」といったグレーゾーンなクルマやらバイクやらが沢山いたと思う。「やっちゃったもの勝ち」の危なくも長閑なモータリゼーション勃興期だった。   近年は新しい小型モビリティの参入もあるし、モータリゼーションの面白い時代になりそうなのに、いまひとつ盛り上がって来ない。 1960年代のあの「緩さ」「いい加減さ」があれば、法整備が多少追いつかなくてもモビリティの多様化は勝手に進んでいくのに、惜しいなぁ と思う。まぁ「常識を信じる。勝手にやれ」と言うわけにも行かないのが現代というものなのだろうな。   今年(2025年)ついに50cc原付が生産中止となる。「いつかスーパーカブを買ってノンビリ全国を走りたいなぁ」と思っていたが、その「いつか」はもう来ない。