限界芸術?
[日々の繰言] シュレーディンガーの川柳
最近このブログで川柳を始めた。無教養なので「575のリズムならヨシ!」程度の川柳を捻っている。まぁ、ちゃんとした人から見れば児戯だろうけど、本人が面白がっているのだから見逃しておくれよ。今はAIが簡単に使えるので、ワタシも「小さなAI句会」と題して川柳水増しに活用しているが、半世紀前に高校の授業で聞いた「17文字で構成される俳句は、コンピューターで完全に機械生成が可能であるがゆえに、意味のない芸術である」という批評を思い出したので、Geminiさんに聞いてみた。
G様「文字種を3,000種類として総当たりで「10の59乗」パターン、宇宙の寿命が尽きても計算は終わらんぜ」「でも、辞書から意味のある単語を事前抽出しておけば「10の12乗」位まで激減するから、全生成に2時間くらいか」「問題は、その後のLLM困惑度判定で「意味のある川柳」を抽出するのに80年位かかる事だよ」「待てない?じゃ最適化しよう。多段階フィルタリングで判定数を減らせば、数万句程度を数日で抽出できるよ。ここらで手を打ちなよ」。
それでも膨大な俳句生成だが、最近は「俳句とは言葉を組み立てるのではなく、世界から意味を切り取る『フレームの文芸』だ」と言われているらしいので、ここから「読み手」側に創造の作業が移る。これで想起したのが「誰も聞く者の居ない秘境の奥地で大木が轟音と共に倒れた。そのとき果たして『音』はあったか?」という古典的問いかけ。そこから更に「観測されない川柳は確定的か?」といった量子論的な妄想もわいてきた。つまり川柳も「『詠まれた』瞬間ではなく『読まれた』瞬間に意義が確定する」。これがいわゆる「シュレーディンガーの川柳」である(いま言った)。してみると「この川柳はツマラナイ」問題の原因は、川柳を『詠んだ』ワタシにではなく、それを『読んで』いるアナタにある訳だ!
よかったよかった、これで安心して駄川柳が詠めますわ。
知らんがな アンタが詠んだ 川柳や(刻空)
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