奇跡の街

[まあ座れや] あの日、静かなあの日

 2011年3月11日。この時に勤めていた秋葉原オフィスは15階にあり秋葉原駅のホームが見える。たぶん緊急停止したのだろう、駅から出発したばかりの山手線が中途半端な位置から全く動かない。地震は15時前に発生したが、18時くらいになっても電車は動かずバスもタクシーも来ない。帰宅難民の大量発生だ。(余談だが、その時ワタシはPHSを使っていた。「ユーザーが少ない」マイナー性が良い方向に転び、他社携帯が次々ブラックアウトしていく中で持ちこたえ、家族の無事を確認できたのは幸いだった。この時に「『多様性』は絶滅しないための戦略だ」という事を理解した。)

 家族の無事は分かったが自宅に戻りたい。腹を決めて秋葉原から中央線沿いに新宿まで歩き出した。同じような決断をした大量の「難民」達がそれぞれの目的地に向かって歩いていく。この時の不思議な感覚はいまでも覚えている。みな黙々と歩いていく。途中の分岐路で道を尋ねる人々もたくさん見たが、人々がただ静かに教え合い「ありがとう」「お気を付けて」と別れていく。クラクションも聞こえない。ただ足音だけが静寂の中に響いている。新宿に着いたが私鉄も止まったままなので、更に私鉄線沿いに歩いていく。途中のコンビニに「トイレはご自由に」と手書きの張り紙。そこで水を買い一息ついて見るともなく見てみれば、公衆電話の上に10円玉が何枚も置いてある。更に歩くと沿線沿いにあるマンションにぶつかった。そこに中年の男性が立っており「このまま行くとマンション駐車場で行き止まりなので、ここを右に迂回してください」と教えてくれたので、その指示に従って迂回した。しばらく歩いてから、彼はたぶんそのマンションの住人なのだろうと気づいた。もとより彼にはそんな事をする義務は無い。もう見えない彼に頭を下げた。それからさほど歩くことなく私鉄が動き出した

 あの日の東京は奇跡の街であった。

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