伊勢神宮にて悟る

[日々の繰言] 神道は生者の道 

 ワタシは友人が少ない。しかもその数少ない友人のうち二人を、だいぶ前に亡くしている。

 引退前の仕事では伊勢市に毎年長期出張していた。定宿ホテル近くに伊勢神宮の外宮があり、天気の良い日は朝散歩で外宮に参ることが多かった。(江戸時代は「一生に一度は伊勢参り」と言われていたらしい。毎年伊勢参りしていたワタシは途方もない善男ですよね、神様、ねっ。)

 引退が決まり最後の伊勢出張となった時に「もう一生、伊勢に来ることはないのだろう」と考え、ふと亡くなった二人の名前を伊勢神宮に残せないかと思い立った。次の式年遷宮は2033年。式年遷宮奉賛金を寄付すれば名前が残るのではないか。そこで外宮の社務所に朝一番で行き、寄付金の申し入れをした。受け付けてくれた巫女さんの指示に従い書類に記入していたが、ふと「亡くなった方々なので、住所欄はどうすれば良いですか」と尋ねたら、「亡くなった方の寄付はお受けいたしかねます」と少し困った顔をされた。

 なにせ無計画で鳴らすワタシの事、思い立ったら調べもせず行動してしまうのでこのような事が多い。だが巫女さんの困った顔には「非常識をたしなめる」と言うよりは、何か同情のようなものが感じられた。そのおかげか「そうだ、神道とは生者の道だった」とストンと腹に落ちたので、お詫びをしてその場を辞した。改めて調べると「神道は生きる事、仏教は死後の事」を司ると分かる。常識に属する事だが、その時は恥ずかしながら失念していた。ならば、まだしばらくは生きねばならぬワタシの勤めをしよう。寄付するつもりだった奉賛金を小分けにし、その週末を使って伊勢にある複数の神社にお賽銭として納め祈った。後日、その友人たちと出会い過ごした関東の街の神社にて最後に祈った。

 出会えた幸せに感謝して祈る。それが生き残った者として出来る唯一の事だから。生者の道と知ったから。

With music by Edward Elgar: "Enigma Variations", Op. 36 – Variation IX, Nimrod

コメント

このブログの人気の投稿

これで花粉が無ければねぇ

目のうろこ

電話に出んわ

シンガポールのバックヤード3