街の余白

[日々の繰言] ノラ猫のいる町は良い町である

 15年ほど前にリストラされた時、暇つぶしに自宅周辺で散歩する事が多くなったらやたらとノラ猫が目に入るようになった。それまでは会社勤めの慌ただしさか、近所のノラ猫を認識する余裕無かったのだろう。その後に就いた仕事では泊り掛け出張のある会社が多く、早朝や週末にホテルの周りを散歩する様になった。するとどうだ、散歩途中で必ずノラ猫に会う。ただし日本国内だけ。米国、カナダ、中国、台湾、韓国、シンガポールに数回出張で滞在したが、海外でノラ猫を見かけた記憶が全くない。

 ノラ猫を見かける町は何かと「余白」が多い気がする。前述の海外ではいろいろな意味で「余白」が感じられない。都市が計画的過ぎたり、ビジネス一辺倒だったり、人が多すぎたり、逆に誰もいなかったり、ともかく「余白」ないのだ。まぁワタシの出張での行動範囲が偏っているせいもあるが、それなら国内でのノラ猫遭遇率の高さはナゼだろう?

 何より日本人がネコ好きというのが大きかろう。だがそれ以上に、おそらく日本の町が「いいかげん」に作られているのだろう。「この横道は何処につながってるんだろう」と先に進むと行き止まりだったり、ずいぶん前に廃屋化した家がなぜか保存されていたり、道がぐるっと元に戻っていたり、小学生が歩いて通学していたり。日本の非効率の象徴のような町の構造が、ノラ猫に生きる「余白」を与えているのだろう。そのような「余白」は、きっと住んでる人にも優しい緩衝地帯になるハズ。実際、散歩していても何だか楽しい。だからワタシは「ノラ猫のいる町は良い町」だと思うようになった。

 だが何とした事。引退してから自宅周りの散歩を再開したが、ありゃ?あれだけいたノラ猫を見ない。我が町は「良い町」では無くなってしまったのか。かなり悲しい今日この頃である。

ぬこ、何を見る


コメント

このブログの人気の投稿

これで花粉が無ければねぇ

目のうろこ

電話に出んわ

シンガポールのバックヤード3