こどもの日に思う
[まあ座れや] 親孝行
「子供は三歳までに親孝行を終わらせている」これは有名な子育ての格言だ。「大きな子供」とカミさんから笑われるワタシはろくな子育てをしてこなかったが、それでも実際に幼い息子に接して、この格言は正しいなと実感した(もう30年も前の話だ)。「他人からの100%の信頼」は、幼い我が子からしか受けられない。成長し三歳前後で息子に自我が生まれ始めると、残念だがそのような感覚は徐々に消えていったが、たとえ生涯一度であってもこの経験ができた事に素直に感謝する。
ワタシは三歳の時に大やけどをした。いまも酷いケロイドが左足に残っている。どうやら火鉢に掛かっていた沸騰した鉄瓶をいたずらでひっくり返してしまったらしい。運び込まれた病院で二回心臓が止まったが、生き延びた(医者は「心臓の強い子だ」と感嘆の声を漏らしていたとの事)。ワタシ自身は事故の瞬間もその後の入院生活も全く覚えていないのだが、親にしてみれば自分が死ぬよりつらかっただろう。悲しいかなワタシは「三歳にして親不孝」な息子だった。
おおよそ一年間は寝たきりに近かったようなので、体力も運動神経も他の子に比べて劣るのは仕方ない。頑張ればそのうち追いつくさ。それは大人の冷静な意見だ。しかし子供は残酷である。「ちゃんと遊べない」子供は仲間外れにされる。ますます人と遊ばなくなり、運動能力はどんどん遅れていく。ますます仲間外れにされる。人生の分かれ道、一人遊びしかできない暗い子供の出来上がりだ。果たしてあのとき生き延びたのが幸運だったのか不幸だったのか、たぶん誰にもわからない。
おおよそ一年間は寝たきりに近かったようなので、体力も運動神経も他の子に比べて劣るのは仕方ない。頑張ればそのうち追いつくさ。それは大人の冷静な意見だ。しかし子供は残酷である。「ちゃんと遊べない」子供は仲間外れにされる。ますます人と遊ばなくなり、運動能力はどんどん遅れていく。ますます仲間外れにされる。人生の分かれ道、一人遊びしかできない暗い子供の出来上がりだ。果たしてあのとき生き延びたのが幸運だったのか不幸だったのか、たぶん誰にもわからない。
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こどもの日は、何故かいつも晴れである。今年も晴天の公園は親子連れでいっぱいだ。子供たちが夢中で遊んでいる。我が子からの100%の信頼を受けて、どの母親も父親も笑顔が輝いている。
健やかに。なにとぞ、健やかに。
「三歳にして親不孝」だったワタシが、晴天の五月の空に祈ります。
「三歳にして親不孝」だったワタシが、晴天の五月の空に祈ります。
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