錆びる

[まあ座れや] ピアノ・ライブにて

 初めて楽器の生演奏を聴いたのは中学の授業でだった。そこはちょっと変わった中学校で、音楽授業ではオーケストラ楽器の内から一つ選び、実際に触って音出しを試し、簡単なメンテナンスまでやらされた。そのような体験の後のある日、室内楽のミニコンサートを体育館で聞いた。あの楽器の手触りを思い出しながら、レコードとはまるで違う音の感触に阿呆の様に感心しクラシック音楽に興味を持った。

高校生の時に経験した中村紘子のピアノリサイタルは衝撃だった。技巧や芸術性に感動する以前の、「ピアノって、こんな音が出せるのかっ!」という原始的な興奮。ここでも阿呆の様に感心し、更に音楽に傾倒した。

社会人になってからサントリーホールで聞いたイタリア合奏団の室内楽には、その演奏もさることながら、ホール音響のすばらしさに震えた。「最後の残響が消えるまで聞き入る」という気持ちが初めてわかり、みたび阿呆の様に感心した。残念ながらその後は仕事に忙殺されコンサートに行くこともできず、せいぜいCDかiTunesにため込んだ音楽を聴くだけの生活に戻った。


 還暦を過ぎたある日、長期出張先の週末。散歩途中にあった音楽高等学校の「無料コンサート」のポスターを見て、ふと会場に入ってみた。コンサートはピアノ独奏で、その音楽学校を卒業したプロピアニストが3名、クラシック音楽を演奏するものだった。音楽学校のミニホールなので音響も抜群だ。
さあ久々に生演奏を聴くぞ、わくわくする。若い男性のピアニストがピアノの前で一礼して、着席。いざ、第一音。

びっくりした。
まるで心が動かない。

指は踊る。演奏は美しい。ホールは申し分ない。なのに、心は動かない。岩のように。
3名の素晴らしい演奏が終わり、席を後にした時のワタシは抜け殻だった。
なんだ、これは。なんなのだ。


 この日、耳が、心が錆びついていたことを知った。
 ホテルに戻り呑んだ酒はひどく苦かった。

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