検査という名の絶望
[仕事の繰言] ゼロと戦う人々
ここ数か月、日本でウェブサイトのハッキング事件が立て続けに発生している。AIによる攻撃激化だとか、日本のサイトが海外ハッカーの狩場になっているとか言われるが、IT素人のワタシには判断できない。できないが、キャリアの大半を「検査・試験」に費やしてきた人間として思う事がある。
以前、大メーカーの「出荷検査不正」の報道が多発した事があったが、今も不正は無くなってはいないだろう。なぜそう思うのか?それは「検査」が製造の最終工程にあり、そして何よりも「検査」の付加価値が認められていないからだ。
生産・開発スケジュール遅延のしわ寄せは最終工程である「検査」に来る。「なぜ出荷できない?」というプレッシャーは相当なものだ。そして不良を発見すれば「検査が間違っているんじゃないの?」と疑われ、不良を見逃せば「この役立たず!」と無能扱い。問題が無ければ「検査なんか時間のムダ」。しかも「検査」しても機能は増えない、品質は向上しない、高く売れるわけではない、「分かり易い付加価値」が無い仕事である。結果的に検査部門は軽視され、予算や人員、更には時間すらまともには貰えない。こんな事が繰り返されれば、疲労と絶望から「やってらんないよ!」と不正に走ってもおかしくはない。
コロナ禍の英国、エッセンシャル・ワーカーに拍手を送る運動を思い出す。ワタシには偽善としか思えなかった。その後、彼らへの評価が正当に引き上げられたとは聞こえてこない。その場の感謝表明と、貢献に見合った処遇を用意することは別の話だ。事件・事故が起きたときだけ重要性が叫ばれ、危機が去れば元の低処遇に忘れ去られる。
いま多発するセキュリティ事故も同じ構図に見える。日本のセキュリティの弱さは、「マイナスを0に押し戻す」「マイナスにならないよう0で踏ん張る」人々を、長年ないがしろにしてきた結果を象徴している。「何も起きない」ことの価値を、何かが起きてからでなければ認められない社会。そんな社会の足元が崩れ落ちる日は来る。
必ずやって来る。
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