頑固と衰えと諦めと

[仕事の繰言] 「引退する」ということ

 「バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」という絵画をご存じだろうか。ワタシはあのカスティリオーネの「目」を前にして、発すべき言葉を持たない。諦めたような、でも「これでよかったのだ」という達観のような、あの目。

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 「引退」というのは、人生における個人差の大きな判断の一つだと思う。ある人は「引退」を、ある人は「退職」を選ぶ。(悲しい事だが、そこに至る前に「壊れる」人もいる。)

 「引退」のロールモデルがワタシの身近にいなかった。父は典型的サラリーマンで、会社を定年で退職した。ワタシの就職した会社でも定年退職する人達をたくさん見送って来たが、大過なく過ごした爺さん(婆さんは一名だけ。つくづく昭和だな)が花束をもらってフェードアウトしていった。だが定年は年齢という絶対的外部要因で決定されるので「定年退職=引退」ではないだろう。

 身近で初めて「引退」したのは、70歳の腕の良い職人のOさんだった。頑固だが気のいい爺さんで、「Oさんに溶接できない配管は、配管の方が間違っている」というくらいの配管溶接のプロだった。本人も自らの腕前に恃むところが大きかっただろう。そのOさんが、あるとき信じられないような凡ミスをした。すぐにリカバーできる程度のものだったが、彼は目に見えて落胆していた。「そんなに落ち込まなくても」とワタシは思ったが、程なくしてOさんは「引退」を選んだ。「プライドが傷ついた」という次元を超えて「自分への信頼が壊れた」のだろうと思う。ああ、人はこうやって「引退」を決意するんだなと、ひどく悲しく思った

 ワタシは62歳で引退した。理由は「足掻くのを諦めたから」としか言いようがないし、仮に説明できても他人に判ってはもらえないだろう。言葉は、言葉にすぎない。

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バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像」という絵画をご存じだろうか。あの「目」を見ただろうか

 あれが「引退」だ。

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