ダムナティオ・メモリアエ

[日々の繰言] 人は悲しまれずに死んではならない

 ある本で古代ローマ時代の「死刑より重い最高刑『Damnation Memoriae:記録抹消刑』」を知り感心した事がある。これは対象人物(通常は暴虐な独裁者)が死後に処される刑罰で、簡単に言えば「お前なんかこの世に存在しなかった事にしてやる!」刑である。数世代にわたり確実に刑が実行され続ければ、死期が迫って「無敵の人」化した独裁者の暴走を阻止する手段になり得る。確実な「二度目の死」への恐れを使って。最近、「我が名を未来に残したい」という老害政治家・経営者が暴れて世界が大迷惑を被っているが、今こそ現代版ダムナティオ・メモリアエが必要なのではないかと、ニュースを見ながらポツリと思う。

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 先に逝ってしまった友人の事をふと思い出すことがある。先日、彼の大好きだった「初ガツオ」を食べたときに「なんだか悲しい思い出だな」とこぼした。カミさん曰く「でも『思い出せる』のでしょう?なら悲しむことはないよ」。うん、そうだな。まだ思い出せる。彼は私に思い出を残してくれた。そしてその小さな思い出がワタシ中に残っている限り、彼に二度目の死は訪れない。
 「二度目の死:最後にその人の名が呼ばれたとき」は、いつか確実に訪れる。その瞬間は知られる事が無く、どこにも記録されない。だが誰かの事をなつかしく思い出すたびに、その誰かの「二度目の死」は遠ざかる。だからこそ、「人は悲しまれずに死んではならない」のだ。

 人生でもっと恐ろしいのは「最初の死:棺桶の蓋が閉じられたとき」より「二度目の死」が先に来ることだ。死ぬ前に忘れ去られたら、自分で自分の「二度目の死」を見る事になる。若いうちは「人は悲しまれずに死んではならない」という箴言を理解するのは難しい。だが歳を経りこれを理解した時には、既に人生は手遅れなのだ。それを悟った人がどのような最期を迎えるのか、まさかワタシが自分で実践することになるとはね。人生とは残酷なものだ。


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