ある日の夢想
[まあ座れや] 日曜の交差点
自動車を運転していた或る日。都内の小さな交差点での信号待ち。良く晴れた日曜だったが人通りも交通量も少なく、横断歩道前に停車した自動車はワタシだけ。歩行者も信号待ちしていた数人だけだ。右側にいたのは、小学生くらいの男の子とその両手を引くお父さんお母さん。左側には杖を突いたお婆さんとその手を引く中年の男性、息子さんだろうか。歩行者信号が青になり、二組とも渡り始める。右から、ばねの様な男の子のエネルギーと、ご両親の笑顔。左から何とか歩こうと頑張るお婆さんと、労わる様に腕を支える疲れ顔の息子さん。ワタシの目の前ですれ違う。そのとき思った。
「ああ、人生が交錯する」
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ワタシは子供の時から友人が少なく一人遊びばかりしていた。それも「楽器を弾く」「絵を描く」「スポーツをする」といったレベルの高いものではなく、「手近にある本を乱読する」か「ぼーっと夢想する」といった、まったく以って「陰キャ」の鏡の様な一人遊びだ。普通の人にとっては何でもない平凡なコトやモノに対して「ぼーっと夢想する」ので、他人に説明しても意味はない。「夢想」している時は微笑んだり悲しそうな顔をしているらしく、薄気味悪く思ったクラスメートに訳を問われた事もあった。だが、説明しても何が面白いのかまるで理解してもらえず、次第に説明を諦めるようになった。いや、その前にクラスメートの方が呆れて問いかけなくなった。(最近「無キャ」という言葉を知った。ワタシのためにある言葉だなと感心した)。
社会人になってから出来た数少ない友人の一人が、ワタシを評して「xx(ワタシの事)はええなぁ、いつも楽しそうで」と笑っていた。彼にはワタシの「夢想」など一度も説明した事が無い。でも、もし上の様な夢想を話したとしたら、たぶん同じように笑ってくれただろう。
だが彼はもうこの世にはいない。
だが彼はもうこの世にはいない。
ああ、青だ。軽くアクセルを踏み込む。
バックミラーに交錯した人生を収め、ワタシは再び走り始める。
バックミラーに交錯した人生を収め、ワタシは再び走り始める。
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