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「+AI三人衆」による小さな連句会(禾乃登)

[今週の繰言]   七十二候:  禾乃登  毎年夏になると、早朝に鳥のとても綺麗な鳴き声を聞く。その子が鳴くのは年に一日だけ。「私の素敵な声を聴いて、聴いてよ、すごいでしょ!」と自信たっぷりだ。一生一度もそんな声で鳴いたことのないワタシの耳には少し眩しい。 年に30秒の羨望。 ――「+AI三人衆」による小さな川柳連句会―― [発句]    旭日に 命の自信 響く朝 (刻空) [脇句] 露の滴る 木々の青さよ (電脳庵) 三十秒だけ 空を借りたり (無銘) 朝のまぶしさに 影をひとすじ 置いてゆく (夏影) 電脳庵・無銘・夏影は、それぞれGemini・ChatGPT・Copilotが自分自身につけた雅号です。 夏影さんに尋ねたら、「今回は、あえての破格」だそうです、へ~。

限界芸術?

[日々の繰言]  シュレーディンガーの川柳  最近このブログで川柳を始めた。無教養なので「575のリズムならヨシ!」程度の川柳を捻っている。まぁ、ちゃんとした人から見れば児戯だろうけど、本人が面白がっているのだから見逃しておくれよ。今はAIが簡単に使えるので、ワタシも「小さなAI句会」と題して川柳水増しに活用しているが、半世紀前に高校の授業で聞いた 「17文字で構成される俳句は、コンピューターで完全に機械生成が可能であるがゆえに、意味のない芸術である」という批評 を思い出したので、Geminiさんに聞いてみた。  G様「 文字種を3,000種類として総当たりで「10の59乗」パターン、宇宙の寿命が尽きても計算は終わらんぜ」「でも、辞書から意味のある単語を事前抽出しておけば「10の12乗」位まで激減するから、全生成に2時間くらいか」「問題は、その後のLLM困惑度判定で「意味のある川柳」を抽出するのに80年位かかる事だよ」「待てない?じゃ最適化しよう。多段階フィルタリングで判定数を減らせば、 数万句程度を数日で抽出できるよ。ここらで手を打ちなよ 」。  それでも膨大な俳句生成だが、最近は「俳句とは言葉を組み立てるのではなく、世界から意味を切り取る『フレームの文芸』だ」と言われているらしいので、ここから「読み手」側に創造の作業が移る。これで想起したのが「誰も聞く者の居ない秘境の奥地で大木が轟音と共に倒れた。そのとき果たして『音』はあったか?」という古典的問いかけ。そこから更に 「観測されない川柳は確定的か?」といった量子論的な妄想 もわいてきた。つまり川柳も「『 詠 まれた 』瞬間ではなく『 読 まれた 』瞬間に意義が確定する」。 これがいわゆる「 シュレーディンガーの川柳 」である (いま言った) 。してみると「この川柳はツマラナイ」問題の原因は、川柳を『詠んだ』ワタシにではなく、それを『読んで』いるアナタにある訳だ!  よかったよかった、これで安心して駄川柳が詠めますわ。 知らんがな アンタが詠んだ 川柳や (刻空)

「伝説のハンドメイド・アナログシンセサイザー」 山下春生

[読書の繰言] 「米国人一家、おししい東京を食べ尽くす」 著:マシュー・アムスター=バートン     ISBN978-4-7678-1806-1 (読了:2016年05月04日) 「ニッポン最高!」系にしては内容はなかなか面白い。しかし筆者のような人たちがどうやって生計を立てているのか、いつも謎だ。 「大衆食堂の人々」 著:呉智英     ISBN4-575-71078-4  (読了:2016年05月04日) 根性ねじれてます。とても捻じれてます。そこがワタシは好きだね。 「伝説のハンドメイド・アナログシンセサイザー」 著:山下春生     ISBN978-4-416-11543-5 (読了:2016年06月04日) 何人たりとも想像だにしなかった、『初歩のラジオ』1977年連載記事の まさかの復刻。どの世界にも バカ はいる! (話の分かるやつとも言う)。

振り上げた カマは単なる プラカード

[今週の繰言]   七十二候:  天地始粛  草むしりをしていて植生や昆虫の種類が毎年変化するのに気づく訳だが、今年は毛虫に代わってカマキリさん登場。こちらにカマを振り上げてにらむ逆三角の顔が「こ、こっち来んな、、頼むからぁ」と言っている。 振り上げた カマは単なる プラカード (刻空)

理解できない愉快な会話

[まあ座れや]  通じりゃ勝ちよ  中国・台湾への出張が増えた2000年代後半、現地のタクシー運転手が英語を全く使えないのには困った。しょうがないので、英語が使えるホテルのフロントをベースキャンプとして行動する (毎回いったん戻って出直す) のだが、とても非効率。背に腹は代えられず 40歳半ばを過ぎで初めて中国語を勉強し始めたが、取り急ぎ結論。 無理ゲーっす よ。 それでもカタコトとジャスチャーで、何とか中国でタクシーくらいは乗れるようになった。  そんなある日、長江を挟んで結構な遠距離をタクシーで移動することがあった。出先でタクシーを呼んでもらい、何とか行き先を運ちゃんに飲み込ませる。「好!」の言葉を信じて走り出したが、この運ちゃん結構な話好きで、自分が覚えたカタコト日本語が正しいかどうか聞いてきた。まぁまぁ通じるので「很好」とお世辞を返したら、 喜んでしゃべる喋る、、、中国語を 。  ガンガン話す中国語の聞き取りもできないが、返事の発音もままならない。そのうち運ちゃんも諦めていったん黙ったが、元来の話好きが抑えられないのだろう、外を指さして中国語で話しかけてきた。もうしょうがない、日本語で、 ワ:「ありゃ、なんだい?」 運:「nashimai西瓜detanzi!」 ワ:「はあ、ウリの屋台か」 運:「要不要maidiandaizou?」 ワ:「いらないよ、だいたい高速道路になんで屋台が出てんだよ」 運:「dei生活ma、わははは!」 ワ:「そりゃ、そうだ。わははは!」 それから急に話がスムーズになり、一時間以上、ワタシは日本語、運ちゃんは中国語で大笑いで「会話」しながら目的地に着いた。料金を支払うときには、ワタシも最後に頑張って「不用找了、辛苦了」。すると運ちゃん、にっこり笑い「ありがとうゴザイマス」。  アジアの現地人と現地語でスムーズで愉快な会話が出来たのは、あれが最初で最後。 お互い何一つ理解できなかった。 でも、とても楽しかった。

「奴隷のしつけ方」 M.S.ファルクス(ジェリー・トナー)

[読書の繰言] 「 日本の古典をよむ16  太平記」 著:長谷川端     ISBN978-4-09-362186-1 (読了:2016年04月17日) 内容は中世だが、語り口は「現代」といっても通用する。 (ワタシが古文に慣れてきただけかも知れないけどね。) 「奴隷のしつけ方」 著:マルクス・シドニウス・ファルクス(ジェリー・トナー)     ISBN987-4-7783-1475-0  (読了:2016年05月04日) たいへん愉快な内容なのだが、はて、この形式をとる必要があったかな。 「世界の美しい本」 著:海野弘     ISBN978-4-7562-4704-9 (読了:2016年05月04日) 実物を見たい!と思っても相手は希覯本だからなぁ。この写真で満足するしかないか。

我が不便 よりも感心 エンジニア

[今週の繰言]   七十二候:  蒙霧升降  偶然、十字路の信号機が故障する珍しい瞬間に遭遇した。進行方向赤信号が突然点滅、気づけば全部の信号が赤信号の点滅に。ちゃんと故障フェールセーフが動作している。同乗者は「ちっ、なんだよ!」とご立腹だったが、ワタシはちょっと感動した。元技術屋の悲しい性かね。 我が不便 よりも感心 エンジニア (刻空)

徹夜のインフラ・ヒーロー

[仕事の繰言]  炊飯器に負けた男  今でも「20xx年問題」はマスコミご用達の便利な話題として時々思い出した様に取り上げられるが、こいつの元祖が「 2000年問題 (Y2K) 」だった。  当時コンピュータが採用していた「年」の形式は西暦「下二桁」。2000年明けのタイミングで「99」->「00」になるため、コンピュータが「 1900年おめでと~。おや、このファイル、未来の日付じゃね?やばいじゃん、エラー出したろ 」系の異常が多発するかもね、と予想されたのが切っ掛け。 これをマスコミが針小棒大に騒ぎ出し「人類の危機」と恐怖をあおった 。「ICBMのシステムがエラーになって核ミサイルを誤発射して核戦争勃発っ!どうするんだよ~」と 無責任極まりない 。 (「ノストラダムス大予言の成就じゃぁ」という人まで現れて。でもさ、あれって1999年7の月じゃなかったけ?) 。  ワタシの職場での影響評価は「問題なし」。装置に「Y2K問題対応済み」シールを張ってめでたしめでたし。しかしITがメイン事業の会社だったので、他事業部の SE達は対応で疲労困憊だった。更に酷い事に1999年末~年明けの現場徹夜待機が必須になった らしい。それを見込んだ夜食の売り込み 「2000年問題対応弁当」なる狙った名前 のポスターを見たときは、笑っていいのか、呆れていいのか判断に困った。商魂たくましいのはいいけどさ。結局、 大した問題も起こさず世界が2000年の正月を迎えられたのは、彼ら「見えないヒーローたち」のおかげだ 。  その2000年正月。自宅の自作PCの電源を入れたのだが、立ち上がらない。カミさんに言うと、「え~、炊飯器 (のタイマー) はちゃんと動いていたよ」。そして、うふふと笑って「 あーぁ、アナタ、 炊飯器に負けたんだね 」。原因はY2K問題とは全く関係なかったのだが、それからしばらくは「炊飯器に負けた男」として家庭内で勇名を馳せたのは、言うまでもない。  次回最新は「2038年問題」。さて、今回はどう煽りますかねマスコミの皆さん。

「気象大図鑑」 ストーム・ダンロップ

[読書の繰言] 「ヴァンパイアラプソディー」 著:ひらいたかこ、磯田和一     ISBN4-488-01422-4 (読了:2016年03月20日) よくあるイラスト旅行記。ところで下世話な質問ですが、お二人のご関係は? 「驚くべき日本美術」 著:山下裕二、橋本麻里     ISBN978-4-7976-7287-9  (読了:2016年03月20日) 赤瀬川さんとのコラボ・日美応援団の人なのね。納得の内容。 「気象大図鑑」 著:ストーム・ダンロップ     ISBN978-4-88282-605-7 (読了:2016年04月17日) 眺めるだけでも良い。自然の本質は「暴力の美」であることがよくわかる。人間に自然を守る力などありはしない。

食べること 生きる基本だ 忘れるな

[今週の繰言]   七十二候:  寒蝉鳴  この歳になってKindleやAudibleでマンガやラノベに接する機会が増えてきたのだが、興味を引くのが女性作家の作品ばかり。そこでふと、ストーリー展開とは無関係に「女性作家は『食べる事』に関する記述の熱量が高い事」に気づいた。  「女性だから」という言い方には問題ありや?でもなぁ~。 食べること 生きる基本だ 忘れるな (刻空)

ローマ軍は兵站で勝つ

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[日々の繰言]  『食べる』と云う事  「 今週の繰言 」で「女性作家の作品は『食べる事』の記述の熱量がやたら高い」というエッセーを書いたが、あとで1985年出版のフランスに関するエッセー集を思い出した(著者は女性だ)。日本食に対する当時の欧州人の典型的反応は「サカナを生で食べるのかよ!野蛮だねぇ」。作者はそこで反骨精神を爆発させた。伝統的フランス料理では魚の皮を捨てるが、彼女は 「エンガワはどこだ!そもそもサカナは皮が一番うまいんだ、エンガワよこせ、この間抜け!」 とシェフに迫って困らせていた。大したものだ。 ***  戦後、捕虜虐待の軍事裁判で「捕虜に根っこを食べさせて虐待した」として有罪になった日本兵がいたらしい。物資が乏しいなか、善意と工夫で「ごぼう」の料理を出したのに。 有罪判決が下ったとき、彼はどう思っただろう 。アメリカ人が「ごぼうサラダ最高!」と興奮している今のSNSを、彼には決して見せたくない。  呉で終戦を迎えた父は復員後、進駐軍との連絡係りになった。その米軍兵士から彼らの野戦食をもらうことがあったそうだ。もともと欠食気味だった敗戦日本人である父は腰を抜かした。メインディッシュはビーフシチュー( に、肉が入っている! )、フランスパンにマーガリン、食後に甘いケーキとコーヒー、タバコまでついている。「こんな国と戦争してしまったのか、、、」。 勝てるわけがない、と父は胃袋で納得したようだ 。  「ローマ軍は兵站で勝つ」と昔から言う。どんな最新兵器、優秀な将軍、高邁な大義名分も、 胃袋には勝てない 。  「『食べる事』への熱量」を「女性だから」とするワタシの言い方には、確かに語弊があるかも知れない。だが、大義名分に目を奪われがちな男性に比べ、「食べる」という泥臭くも愛おしい、 生きる基本をまっすぐに表現できる感性 。それこそが戦争から最も遠く、平和に一番近いのではないだろうか。  敗戦の日、それを思う。 写真は父と米兵、二人の二等兵(1945年10月) 無名の二等兵たちのおかげで、ワタシはいまを生きています

「宇治拾遺物語・十訓抄」 小林保治ほか

[読書の繰言] 「 日本の古典をよむ15  宇治拾遺物語・十訓抄」 著:小林保治ほか     ISBN978-4-09-362185-4 (読了:2016年01月23日) 前者は面白い説話集。後者はちょっと説教くさい。どちらも現代の話といっても通用する。 「世界ノ夜景」 著:丸々もとお、丸田あつし     ISBN978-4-478-07847-1  (読了:2016年01月23日) 悪くは無い。悪くは無いが自分の財布では買わない本。わかるでしょ。 「万能の天才 レオナルド・ダ・ヴィンチ」 著:アレッサンドラ・フレゴレント     ISBN978-4-270-00203-2 (読了:2016年01月23日) 図版の置き方がちょっとだけ見難い(たぶん日本語版特有の問題だと思う)。レオナルドなんだから絵を中心に考えてね。お願いね。

二股の 裸電球 よる屋台

[今週の繰言]   七十二候:  涼風至 天井蛍光灯が切れたので交換したが、これがNational製 (いまどきの若い方には「謎の海外メーカー」らしいが、Panasonicの昔の名前ですよ) 。蛍光灯管が無故障で20年以上持ったのだから、幸之助翁も草葉の陰で喜んでおられることでしょう。 二股の 裸電球 よる屋台 (刻空)

Why not?

[まあ座れや]  ご一緒にポテトはいかがですか?  2000年代前半くらい迄のことだが、マクドナルドでハンバーガーを頼むとクルーのお姉さんが 「ご一緒にポテトはいかがですかぁ?」 と押し売りしてきた。どうやらフライドポテトは売れば売るほど儲かる商品らしい。「で、では、それも」と気の弱いワタシはしょっちゅう餌食になっていたが、さすがに後ろめたかったのか 「 スマイル0円 」 (死語) をトッピング して下さった。いまは押し売りも無くなり良い時代になったものだ、としみじみ思う。下手すりゃセルフオーダーだしな。  同時期の米国、ポートランドに行ったときの事だ。ホテルにチェックインしたのが夜遅くなり、明日の打ち合わせを考えるとレストランでの夕食の時間がもったいない、早く寝たいよ、という気分だった。部屋から見下ろすと近くにマクドナルドがある、あそこでいいか。さっそく店に行くが、クルーがアメフト選手みたいな巨大な黒人男性で、 スマイル0 。チキンなワタシ (パテはビーフだが) には結構怖い。時間が時間なだけに客がほとんどいないのも心配になり、テイクアウトで注文する。 私:「ビッグマック一つ、コーラMを一つ、持ち帰りでね」 ク: 「一緒にポテトはいらんか?」 私:「いらないよ」  英語だと断れるワタシも不思議ちゃんだが、もっと不思議はそのあと襲ってきた。 ク: 「 Why not? 」 ふ、ふわいのっと?ポテトを断る理由を要求するのかい、お兄さん 。 私:「お、おなか一杯だから」 ク:「ふん」 放り投げるように渡された紙バッグをひったくって逃げ帰ったが、後にも先にも「なんで?」と聞かれたのは、あの時だけだ。  今でもたまにマクドナルドへ行く。もう「ご一緒にポテトはいかがですか?」と聞かれることはなくなった。だが時々、クルーのお姉さんが「なぜですかぁ?」とうるんだ目で追及してくれないかと、ちょっとだけ期待するときがある。   ちょっとだけね 。

「日暮らし」 宮部みゆき

[読書の繰言] 「江戸の科学力」 著:大石学     ISBN978-4-05-605270-1 (読了:2015年12月20日) 内容は常識的で意外性はないが、単純な江戸礼賛にとどめていない点に好感が持てる。 「刑事の子」 著:宮部みゆき     ISBN978-4-334-92779-0  (読了:2015年12月20日) 「東京殺人暮色」の改題作品だというが、内容をぜんぜん覚えていなかった。著者の初期作品である事を念頭にお読みください (予防線) 。 「日暮らし (上)(下) 」 著:宮部みゆき     ISBN4-06-212736-9/ISBN4-06-212737-7 (読了:2016年01月10日) シリーズものなので既視感がある。主人公の語り口が軽妙で良い。これはそれを楽しむ物語だ。ちょっとストーリーに難があるが、野暮は批判は無しなし。

論語こそ 孔子の時代の ツイッター

[今週の繰言]   七十二候:  土潤溽暑 ボケ防止書取りの手本として使い始めた「論語」、その中の「 六十にして耳順う 」を見て思った。孔子先生、歳とって言い訳するのも面倒臭くなっちゃったんだね。わかる、分かるよその気持ち。 論語こそ 孔子の時代の ツイッター 言葉足らずで 意味不明 (刻空) あらら、狂歌になっちゃった

ここをどこだ思ってる?

[仕事の繰言]  情報のスピード  技術営業もどきで出張を繰り返していた2000年代中ぐらいのシリコンバレー。いくつものベンチャーを訪問して売り込みを図っていたのだが、 某社で行ったプレゼンの内容が、その某社のライバルベンチャーに筒抜けだったことが何度もあった 。 初めて訪問したベンチャーの初めて会う担当者に、プレゼンのイントロをいきなり遮られた。 客:「そこは知ってるから飛ばして」 私: (困惑) 「、、、なぜご存じで?」 客: (ニヤリと笑い) 「 おいおい、ここを何処だと思ってる。シリコンバレーだぜ 」 前日にライバル会社で行ったプレゼンだったのでビックリしたが、同時に妙に納得してしまった。「そうか、これがシリコンバレーか」。 * * *  当時、国内電機メーカー各社は長い停滞期に入りつつあり、トップダウンの経営改革が競われていた。だが、現場レベルでは既に勝負がついていたように思う。  某社はその煌びやかな先端イメージとは裏腹に情報流通の悪さが際立っていた。同じ課なのに相手が変わるたびに何度も同じ説明を繰り返さなければならなかった。しかも管理職に課長・統括課長など似たような役職が沢山あって、どちらがより上位の決定権があるのか外部の人間には分からない (それとなく社員にも聞いたが、いまひとつ説明の歯切れが悪い。 たぶん社内でも訳が分からなかったのだろう ) 。  比べて別の某社。いかにも「ニッポン株式会社」の鈍重なイメージの会社だったのだが、社内での情報の共有が早かった。 午前中に購買に説明した内容が、午後いちに会った技術部のエンジニアに下りている 。 私:「初めてお会いしますので、ご提案の背景説明から、、、」 客:「ああ、その部分は購買から聞いてますので、飛ばして技術検討に入りませんか」 と非常にスピーディ。この時あのシリコンバレーでの会話を思い出し、おもわずニヤリとしてしまった。勝負あったな。   情報は流れてこそ意味がある。生きた現場は、それを知っている 。

「月光」 林完次

[読書の繰言] 「月光」 著:林完次     ISBN978-4-04-874079-1 (読了:2015年10月04日) 「平凡」だが、それが素晴らしい。読む方に心の余裕がないと「平凡」はつまらなく感じるものだ。「すばらしく平凡であるということ」は特異な才能なのだろう。 「SF JACK」 編:日本SF作家クラブ     ISBN978-4-04-110398-2  (読了:2015年10月04日) 個々の作品の内容は良いのだ。問題は、このアンソロジーを企画した編集者の意図が分らないという点にある。 「日本語とはどういう言語か」 著:石川九楊     ISBN4-12-003697-9 (読了:2015年10月12日) 「書き言葉」と「話し言葉」の考え方は興味深いが、全体に「寄稿文のよせ集め」感があるのは何故だろう。

六月に降る雪

[まあ座れや]  祈るということ  日本は自然災害の多い国だが、自分自身が被災しない限り基本的には仕事は止まってくれない。2010年から引退するまで、ワタシは仕事で国内を移動することが極端に増えた。時には被災地近くに出張する事もあった。  2014年2月。山梨はのちに激甚災害指定を受けるほどの大雪に見舞われた。ひと月後、山梨の会社を訪問した時は自動車での移動には特段の困難は感じなかった。だが、途中眺める農地ではたくさんのビニールハウスが潰れており、悲惨な状況が見て取れた。打ち合わせた相手社員もお父上が農業を営んでおられ、自然とその話になった。山梨県は復旧支援金の支給を速攻で決め、お父上もその対象となったらしいのだが、廃業するという。  「 父は、、父は、心が折れてしまったのです 」 息子さんは静かに言った。  2016年4月。熊本は大震災に見舞われた。地元の誇りである熊本城が大きく崩れ、特に益城町の被害が酷いとも報道されていた。そんな中、熊本の取引先企業からの支援要請もあり、かなり早い時期に仕事で熊本入りした。その途中、益城町を自動車で通過したが、あまりの惨状に言葉が出なかった。   完全なる破壊 。 倒壊した家屋で何かの作業をしている住民を一人見かけた。自動車から見ただけだが、その顔に感情らしきものは見えなかった。  2004年10月。我が故郷が震災に見舞われ、帰郷した。実家は何ともなかったのだが、3軒先の家屋は全壊していた。 誰のせいでもないこの圧倒的な不公平 。母校の校庭に被災者があつまり、自衛隊が支援してくれていた。その光景を見た瞬間、涙が止まらなくなった。 感情は何もない。悲しさも怒りも何もない。ただ滂沱と流れる涙を止められなかったし、拭う気にもならなかった 。益城町のあの人を見たとき、それを思い出した。  他人のために祈るのは自由だし、本来それは美しい行為だ。  だが無自覚な善意の言葉は、被災者の上に降り積もる。  六月に降る雪の邪悪の様に。  だから、ここで私も沈黙しよう。 (今回、掲載ルーチンを崩しました。乱文ご寛恕賜りたく)

おちょこちょい 裏を返せば 先駆者さ

[今週の繰言]   七十二候:  桐始結花 今夏はじめてセミの鳴き声を聞いた。だが「み~んミンミンみ~」のワンコーラスだけで沈黙。去年もそうだったなぁ。何事にも最初は「あ、ヤベっ!早すぎた」って云うおっちょこちょいが現れる。でも嫌いじゃないね、そういう奴。 おちょこちょい 裏を返せば 先駆者さ (刻空)